名古屋市内の実家。80代のお父様が所有するアパートの更新契約書を前に、不動産会社の担当者が困った顔をしていました。「お父様のご本人確認ができないと、契約の更新ができません」。お父様は最近、同じ話を繰り返すようになっていました。通帳の残高は十分にあるのに、誰も動かせない状態が目の前にありました。
✅ この記事の結論(30秒まとめ)
- 家族信託は、親が元気なうちに子などの家族に財産管理を託しておく契約で、判断能力が低下した後もアパート経営や資産の管理・処分を止めずに続けられる仕組みです
- 効力は契約と同時に始まり、家庭裁判所の関与なしに家族だけで運用できる点が任意後見・成年後見と異なります
- ただし家族信託は「資産凍結を防ぐ器」であり、現金を新たに作るものではありません。当面の生活費・入院費は別の方法で備える必要があります
- デメリット・費用の詳細は別記事「家族信託のデメリットと費用」で解説しています
「うちはまだ大丈夫」「銀行に相談すればどうにかなる」——多くの方はそう考えています。しかし本当の問題は、認知症による資産凍結が銀行口座だけでなく、アパートの契約行為や会社の議決権行使にまで及ぶことがあまり知られていない点にあります。契約や意思決定が必要な場面はすべて、本人の判断能力に依存しているのです。だから、この記事では、家族信託が何を防げて何を防げないのか、そして任意後見・成年後見・生前贈与・遺言・保険とどう違うのかを、判断基準とともに整理します。
認知症になると、口座だけでなく「契約」が止まる
認知症による資産凍結というと、銀行口座からお金が引き出せなくなることをイメージされる方が多いと思います。実際、定期預金の解約や大きな金額の引き出しには本人の意思確認が必要で、判断能力が低下すると窓口では対応してもらえなくなります。しかし凍結が起きるのは口座だけではありません。アパートの賃貸借契約の更新、修繕工事の契約、賃料の改定、売却の判断——契約行為が必要な場面はすべて、本人の意思確認ができなければ止まってしまいます。会社を経営している方であれば、株主総会での議決権行使や役員改選の判断も同様です。
この仕組みそのものについては、認知症による口座凍結とは?銀行の判断基準と防ぐ7つの対策で詳しく解説しています。あわせてご覧ください。
家族信託とは何か、何を防げるのか
家族信託は、財産を持つ人(委託者)が、信頼できる家族(受託者、多くは子)に財産の管理・処分を任せる契約です。たとえば親が自宅やアパート、預金の一部を子に信託しておけば、親が認知症になった後も、受託者である子が信託契約の範囲内でアパートの契約更新や修繕、必要に応じた売却まで進めることができます。成年後見制度のように家庭裁判所の監督を受け続ける必要がなく、契約内容を家族の実情に合わせて柔軟に設計できるのが最大の特徴です。
一方で、家族信託には初期費用の高さや受託者の負担、税務上の注意点など、事前に知っておくべきデメリットもあります。5つのデメリットと費用相場の詳細は、家族信託のデメリットと費用|後悔しないための判断基準を中立の立場で解説にまとめていますので、あわせてご確認ください。
家族信託・任意後見・成年後見・生前贈与・遺言・保険 6制度の比較
「結局どれを使えばいいのか」を判断するには、6つの制度を同じ軸で並べるのが近道です。誰が財産を動かせるか、いつから使えるか、身上監護(生活・医療・施設入所などの契約)ができるか、費用が継続的にかかるかという4つの観点で比較しました。
この表からわかるとおり、家族信託は「財産管理の器」として優れていますが、身上監護(施設入所の契約や医療同意など)はカバーしません。一方、任意後見は身上監護も含む包括的な契約ですが、効力発生が家庭裁判所の手続き後になり、月額報酬が本人が亡くなるまで継続します。家族信託は財産管理の器、任意後見は身上監護も含む契約であり、両者は競合ではなく補完関係にあります。実際には両方を組み合わせて使うケースも多く、公証役場で任意後見契約を結ぶ際にあわせて検討されることも増えています。任意後見契約の仕組み・費用・作り方は任意後見契約を公証役場で作る完全ガイドで詳しく解説していますので、あわせてご覧ください。
アパート経営中の資産・自社株がある場合の設計ポイント
家族信託が特に効果を発揮するのは、賃貸不動産や自社株など「本人の判断が止まると、そのまま経営や資産運用が止まってしまう財産」を持っている場合です。アパートオーナーであれば、空室対応・修繕契約・賃料改定・売却といった意思決定が、口座凍結と同様に本人の判断能力に依存しています。詳しいトリガーと対策は家族信託でアパート経営を”止めない”|賃貸オーナーの資産凍結対策で解説しています。
また、非上場会社の経営者であれば、株主としての議決権行使ができなくなると、役員選任や重要な経営判断が止まるリスクがあります。家族信託を使い、受託者が信託契約の範囲内で議決権を行使できるよう設計することも可能ですが、指図権の設計など専門家との連携が前提となる高度な領域です。詳しくは家族信託で自社株を守る|事業承継と議決権凍結のリスクに備えるで解説しています。
家族信託は「現金を作る」ものではない――当面の資金をどう備えるか
ここまで見てきた通り、家族信託は資産凍結を防ぐ有効な器です。しかし見落とされがちなのが、家族信託に入れていない現金は、信託の効果が及ばないという点です。信託財産として指定したアパートや預金の一部はカバーできても、当面の生活費・入院費として手元に残しているお金は、依然として本人名義のまま。判断能力が低下すれば、そのお金は家族信託の有無にかかわらず動かせなくなります。「信託さえしておけば安心」という思い込みが、実は最大の落とし穴です。
この「判断能力が低下した後に、本人の現金が動かせなくなる」という問題に備える方法は、家族信託以外にも複数あります。それぞれの向き・不向きを比較したのが次の表です。
指定代理請求とは、契約者があらかじめ指定しておいた家族が、本人に代わって保険金や給付金を請求できる仕組みです。一時払い終身保険にこの特約を付けておくと、判断能力が低下した後でも、家族が入院費や生活費に充てる資金を確保しやすくなります。ただし早期解約による元本割れなどのデメリットもあるため、生前贈与・預貯金の取り分けと比較したうえで、当面使う予定のない資金の範囲で検討することが大切です。どれか1つに絞る必要はなく、家族信託・生前贈与・保険を組み合わせて備えている家庭も少なくありません。
※ご紹介にあたり、当社が提携代理店から紹介料を受け取る場合があります。本記事は一般的な情報提供を目的としており、個別の税額計算や特定の保険商品の推奨を行うものではありません。税務・法的な判断が必要な場合は、税理士・弁護士など専門家にご確認ください。
家族信託を組む際、家賃収入や信託財産の入出金は「信託口口座」など、受託者個人の財産と分別できる口座で管理するのが基本です。受託者個人の口座に信託財産を混ぜてしまうと、万一受託者に相続や差押えが発生した際に、信託財産まで一緒に扱われてしまうリスクがあります。口座の分別管理は、契約書の設計と同じくらい実務上重要なポイントです。
家族信託が不要な家庭もあります
資産のほとんどが預貯金のみで金額もそれほど大きくなく、賃貸不動産や自社株のような「管理を止められない資産」がない家庭では、家族信託の初期費用をかけるメリットは薄くなります。また、信頼して財産管理を任せられる家族がいない場合や、すでに判断能力の低下が進んでいて本人の意思確認ができない場合は、家族信託ではなく成年後見制度を検討することになります。まずはご自身の状況が、家族信託が向いている家庭に当てはまるかどうかを確認してみてください。
セルフチェック:家族信託を検討すべき状況か
以下の項目のうち、いくつ当てはまるか数えてみてください。
- 親名義の不動産(アパート・自宅など)がある
- 親、または自身が経営する会社の株式や事業用資産がある
- 家族の中に、判断能力が低下した後の財産管理を任せられる人がいる
- 「まだ大丈夫」と思っているが、最近同じ話を繰り返す・物忘れが増えたと感じる場面がある
- 相続人が複数いて、将来の分け方でもめる可能性がある
該当数による目安
0〜1個: 今すぐ家族信託を急ぐ必要は高くありません。まずは記事内の比較表で方向性を確認する程度で十分です。無理に相談される必要はありません。
2〜3個: 判断が必要な論点があります。ご自身に合った対策の優先順位を、下記の診断で整理してみてください。
4個以上: 専門家と一緒に整理した方が早い状況です。契約設計や税務の論点が絡むため、面談での相談をおすすめします。
よくある質問(FAQ)
家族信託の費用はどれくらいかかりますか?
専門家へのコンサルティング報酬、契約書の公正証書化費用、不動産があれば登記費用・登録免許税がかかります。金額は信託財産の規模や依頼先によって幅があるため、断定的な金額はここでは示しません。愛知県内の目安と内訳は家族信託の費用相場はいくら?愛知県内の目安と内訳で詳しく解説しています。
まだ元気なのに家族信託は早すぎませんか?
家族信託は本人に契約を結ぶ判断能力があるうちにしか結べません。任意後見と同様、「まだ大丈夫」なうちが最後のチャンスです。早すぎるということはなく、むしろ判断能力が低下してからでは選択肢がなくなります。
家族に信託の話をどう切り出せばいいですか?
いきなり「認知症に備えて」と切り出すと身構えられてしまうことがあります。アパートの更新や修繕など、具体的な「今後の手続きが止まると困る場面」を話の入り口にすると、財産管理の話として受け止めてもらいやすくなります。
家族信託と任意後見はどちらか一方を選ぶべきですか?
どちらか一方を選ぶ必要はありません。家族信託は財産管理の器、任意後見は身上監護も含む契約で、役割が異なります。両方を併用する家庭も多く、公証役場で任意後見契約を結ぶ際にあわせて家族信託を検討するケースもあります。
家族信託をすれば相続税は安くなりますか?
家族信託そのものに直接的な節税効果があるわけではありません。相続税対策は生前贈与や非課税枠の活用など別の制度と組み合わせて考える必要があります。個別の税額計算は税理士にご相談ください。
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本記事は司法書士 今井 裕司(愛知第1112号/簡裁認定 第118116号)監修のもと、一般的な情報提供を目的として作成しています。個別の税額計算や信託の設計は、税理士・弁護士・司法書士などの専門家にご相談ください。
この先どうするか、決めかねている方へ
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