親の葬儀が終わって少し落ち着いたころ、兄から「親父は遺言を残していた。全部俺に相続させると書いてあるから、お前の取り分はない」と告げられた。遺言そのものは見せてもらえず、判子だけ押してほしいと言われている——。こういう相談は珍しくありません。
先に言っておくと、「遺言がある=取り分ゼロ」ではありません。遺言が本物で有効だったとしても、子には遺留分という最低限の取り分が法律で保障されています。ただし、動ける期間は限られます。この記事では、言われた側が今日から何を確認し、何をしてはいけないかを順に整理します。
先に結論:判子は押さない。遺言の実物を見て、期限内に意思表示する
やってはいけないのは、遺言を見ないまま「相続分がないことに同意します」「相続放棄します」といった書面に署名押印することです。一度出した書面を後から取り消すのは簡単ではありません。逆に、この段階で兄弟と言い争う必要もありません。まず事実を確かめ、期限だけは守る。それが言われた側の基本の動き方です。
まず遺言の実物と種類を確認する
「遺言がある」と口で言われただけでは、何も判断できません。遺言は大きく分けて、親が自分で手書きした自筆証書遺言と、公証役場で作った公正証書遺言の2種類があり、確認の仕方が違います。
自筆証書遺言なら「検認」を通っているか
自宅で保管されていた手書きの遺言は、家庭裁判所で検認という手続きを経る必要があります。検認は遺言の形状や内容をその時点で確認し記録する手続きで、申立てができるのは遺言書の保管者か、遺言書を発見した相続人。費用は遺言書1通につき収入印紙800円と連絡用の郵便切手です(裁判所「遺言書の検認」2026年9月時点)。申立先は亡くなった方の最後の住所地を管轄する家庭裁判所で、名古屋市なら名古屋家庭裁判所、岐阜市なら岐阜家庭裁判所です。
検認の期日には相続人全員に裁判所から通知が届きます。つまり、あなたのところに家庭裁判所から何の連絡もなく、兄が「遺言で全部俺のもの」と言っているだけなら、まだ検認は済んでいない可能性が高い。検認を経ていない自筆の遺言では、不動産の名義変更も預金の解約も進みません。「検認はいつ、どこの裁判所でやったのか」と聞けば、話が具体的になります。
例外は、法務局の自筆証書遺言書保管制度を使っていた場合です。この場合は検認が不要で、相続人は法務局に「遺言書情報証明書」を請求できます。親が法務局に預けていたかどうかは、相続人であれば法務局に「遺言書保管事実証明書」を請求して確認できます。
公正証書遺言なら、自分で公証役場に謄本を請求できる
公正証書遺言は原本が公証役場に保管されています。兄が見せてくれなくても、相続人であるあなたは自分で写し(謄本)を取り寄せられます。平成元年以降に作られた公正証書遺言は日本公証人連合会の遺言検索システムに登録されていて、全国どの公証役場でも「遺言があるかどうか」を検索でき、検索は無料です(日本公証人連合会Q&A、2026年9月時点)。
見つかったら、保管している公証役場に謄本を請求します。持っていくのは、亡くなった方の死亡が分かる除籍謄本、自分が相続人だと分かる戸籍謄本、本人確認書類と印鑑。郵送での請求も可能です。謄本の手数料は1枚250円が目安です(公証人手数料令、2026年9月時点)。名古屋なら葵町・熱田・名古屋駅前の各公証役場、岐阜なら岐阜公証人合同役場で、遠方の役場が保管していても検索と取り寄せの相談は最寄りでできます。
| 遺言の種類 | 自分で確認する方法 | 実費の目安 |
|---|---|---|
| 自筆(自宅保管) | 家庭裁判所の検認に立ち会う。検認済みなら検認済証明書付きの遺言を見せてもらう | 収入印紙800円+郵便切手 |
| 自筆(法務局保管) | 法務局に遺言書保管事実証明書・遺言書情報証明書を請求。検認は不要 | 保管事実証明書800円、情報証明書1,400円 |
| 公正証書 | 公証役場で遺言検索(無料)→保管役場に謄本請求。郵送可 | 謄本1枚250円が目安 |
遺言が有効でも「遺留分」は残る
遺言の実物を見て、確かに「全財産を長男に相続させる」と書いてあった。それでもあなたの取り分がゼロになるわけではありません。子には遺留分があり、遺言でも奪えないからです。
遺留分があるのは、配偶者・子(子が先に亡くなっていれば孫)・親(直系尊属)だけです。兄弟姉妹には遺留分がありません(民法1042条)。割合は、相続人が親だけの場合は遺産の3分の1、それ以外は2分の1が全体の遺留分で、これを法定相続分で分けます。
| 相続人の組み合わせ | あなたの遺留分(目安) |
|---|---|
| 子2人(兄とあなた)のみ | 遺産全体の4分の1(1/2×1/2) |
| 子3人のみ | 遺産全体の6分の1(1/2×1/3) |
| 母が健在+子2人 | 母4分の1、子は各8分の1(1/2×1/2×1/2) |
| あなたが亡くなった方の兄弟姉妹 | 遺留分なし。遺言どおりになる |
たとえば遺産が自宅2,000万円と預金1,000万円、相続人が兄とあなたの2人なら、あなたの遺留分は3,000万円の4分の1で750万円程度が目安です。2019年7月以降に開始した相続では、遺留分は「お金で払ってもらう」権利になりました(遺留分侵害額請求)。自宅の共有持分をよこせという話ではなく、兄に対して金銭の支払いを求める形になります。兄が現金を用意できない場合は、裁判所に支払期限の猶予を求められる仕組みもあります(法務省「遺留分制度の見直し」)。
兄が「自分は親の介護をしていたから当然だ」と言うこともあります。介護の貢献(寄与分)と遺留分の関係は別記事介護を頑張ったのに遺留分を請求された?寄与分と遺留分の関係で整理していますが、結論だけ言うと、寄与分は遺留分の計算に影響しません。介護の事実があっても、遺留分そのものが消えるわけではないのです。
期限は「知ってから1年」。内容証明で意思表示を残す
遺留分侵害額請求ができるのは、相続の開始と、遺留分を侵害する遺言や贈与があることを知った時から1年以内です。知らないままでも、相続開始から10年で請求できなくなります(民法1048条)。兄から「遺言がある」と聞いた日が、多くの場合この1年の起算点になります。
1年以内にやるべきことは、金額を確定させることでも、裁判を起こすことでもありません。「遺留分侵害額請求をします」という意思を相手に伝えること。これだけで時効は止まります。電話や口頭でも法律上は有効ですが、後から「聞いていない」と言われると証明できません。だから内容証明郵便(配達証明付き)で送ります。
- 書く内容:亡くなった方の氏名と死亡日、遺言の存在を知った経緯、自分が相続人(子)であること、「遺留分侵害額請求権を行使する」旨、日付と自分の氏名住所。金額は書かなくて構いません。
- 出し方:郵便局の窓口で「内容証明・配達証明」で差し出す。同じ文面を3通(相手・郵便局・自分控え)用意します。e内容証明(電子内容証明)でも可。
- 費用の目安:郵便料金に内容証明の加算料金と配達証明料が加わり、1通あたり1,500円程度(日本郵便の料金表、2026年9月時点)。
- 送る相手:遺言で財産を受け取る人(この記事の例なら兄)。複数いれば全員に。
内容証明を送ったら兄弟の縁が切れる、と迷う方もいます。ただ、送らずに1年が過ぎれば権利は消え、送っておけばその後の話し合いはゆっくりできます。「まず期限を止めてから、話し合う」という順番だと考えてください。
財産の全体像は、相続人なら自分で調べられる
遺留分の額は遺産の総額で決まります。兄が「たいした財産はない」と言っても、鵜呑みにする必要はありません。相続人の1人であれば、他の相続人の同意なしに次のことができます。
| 調べたいもの | どこで・何を | 実費の目安 |
|---|---|---|
| 預貯金 | 口座がありそうな銀行・信金・JA・ゆうちょに、相続人として残高証明書と取引履歴(過去5〜10年分)を請求。死亡日時点の残高が分かる | 残高証明1通数百円〜1,100円程度。取引履歴は別料金 |
| 不動産(場所が分かるもの) | 法務局で登記事項証明書を取る。誰でも請求でき、名義・抵当権が分かる | 窓口600円、オンライン請求郵送480円 |
| 不動産(その市町村内にあるもの全部) | 市役所・町村役場の税務課で名寄帳(固定資産課税台帳)の写しを相続人として請求。名古屋市は市税事務所 | 1通300円前後、無料の自治体もある |
| 不動産(全国どこにあるか) | 法務局の所有不動産記録証明制度で、亡くなった方名義の不動産を全国分一覧で取る | 1通1,600円 |
| 株式・投資信託 | 証券会社に残高証明を請求。取引先が不明なら証券保管振替機構(ほふり)の登録済加入者情報の開示請求 | ほふり開示は6,050円 |
とくに取引履歴は重要です。亡くなる数年前から兄の口座へまとまった金額が動いていれば、それは遺留分の計算に足し戻す対象(特別受益)になり得ます。「遺言に書いてある分だけ」ではなく「生前に渡っていた分も含めて」全体を見るのが遺留分の考え方です。全国の不動産を一覧で調べる方法は所有不動産記録証明制度の請求方法と名寄帳との違いにまとめています。
話し合いで済む場合と、弁護士が必要な場合
内容証明を出したあとの進め方は、相手の反応と金額で変わります。すべての人に弁護士が要るわけではありません。
自分たちで話し合って済ませられるケース
- 遺産が預金中心で、残高証明を並べれば総額がはっきりする
- 兄が遺留分の存在を知らなかっただけで、説明すれば「その分は払う」と言っている
- 金額が数十万〜数百万円で、弁護士費用をかけると手取りが目減りする
この場合は、合意した金額と支払期日を書いた合意書を作り、双方が署名押印して1通ずつ持てば足ります。金額に自信がなければ、合意書に判子を押す前に弁護士の法律相談(1回30分5,500円程度、初回無料の事務所もある)で計算だけ確認する、という使い方が費用対効果として現実的です。
弁護士に依頼した方がよいケース
- 内容証明を送っても返事がない、または「払わない」と明言している
- 遺産の中心が不動産や自社株で、評価額そのものが争点になる
- 生前贈与や使途不明な出金があり、取引履歴の分析が必要
- 兄弟と直接やりとりすること自体が精神的に難しい
複数の法律事務所が公開している料金を当社で調べた範囲では、遺留分侵害額請求を請求する側で依頼した場合、着手金は20万〜50万円程度、報酬金は回収額の10〜17%程度に設定している事務所が多く、着手金無料で報酬に寄せる事務所もあります(2026年9月時点、複数事務所の公開料金を当社が確認したもの)。調停や訴訟に進むと追加の着手金がかかるのが一般的です。たとえば1,000万円を交渉で回収した場合、弁護士費用の総額は100万〜200万円台が目安になります。目安として、請求額が300万円を下回るなら、依頼前に費用倒れにならないか事務所に率直に聞いてください。弁護士費用の全体像は相続手続きの弁護士費用|着手金・報酬金の相場を参照してください。
話し合いがまとまらなければ、家庭裁判所の「遺留分侵害額の請求調停」を申し立てます。申立先は相手方の住所地の家庭裁判所で、費用は収入印紙1,200円と郵便切手です(裁判所「遺留分侵害額の請求調停」2026年9月時点)。調停は本人でも申し立てられますが、金額の計算と証拠の整理が要るため、弁護士を付けて臨むケースが大半です。
「遺言が無効になるケース」は限られている
「親がそんなことを書くはずがない。遺言は無効だ」と考えたくなる気持ちは分かります。ただ、遺言が無効と判断されるのは次のような限られた場合で、「納得できない」だけでは覆りません。
- 形式の不備:自筆証書遺言で、本文が手書きでない、日付がない(「令和6年3月吉日」など特定できない日付を含む)、署名や押印がない。財産目録だけはパソコンや通帳コピーでも可
- 作成時に判断能力がなかった:認知症が進んだ状態で書かれた場合。ただし診断名だけでは足りず、当時の診療記録や介護記録から遺言の内容を理解できなかったことを立証する必要がある
- 本人が書いていない(偽造):筆跡鑑定などが必要になる
- あとから別の遺言が作られている:日付の新しい遺言が優先し、前の遺言は抵触する部分について撤回されたものと扱われる(民法1023条)
公正証書遺言は公証人が本人の意思を確認して作るため、無効を争っても認められる例は多くありません。現実的には、無効を争うより遺留分を確実に取る方が早く、確実です。無効を主張する場合でも、遺留分の期限は並行して進むので、内容証明は先に出しておきます。
なお、親の側から見た「遺言を作るなら遺留分に配慮しておくべき理由」は公正証書遺言を作る前に知っておきたい4つの盲点|遺留分・代償金・納税に書いています。兄が今回の件で困っているなら、その記事を渡すのも一つの手です。
よくある質問
遺言を見せてもらえないまま、兄がもう預金を解約してしまいました
遺言があれば兄は単独で解約できるので、それ自体は違法ではありません。解約されても遺留分の権利は消えません。銀行に取引履歴を請求すれば、いつ、いくら動いたかは分かります。まず内容証明で意思表示をし、そのうえで金額の話をします。
「遺留分は放棄した」と兄に言われました。覚えがありません
親の生前に遺留分を放棄するには、家庭裁判所の許可が必要です(民法1049条)。あなたが家庭裁判所に申し立てた覚えがないなら、生前放棄は成立していません。相続開始後の放棄は裁判所を通さずにできますが、それも自分の意思表示が必要で、知らないうちに放棄したことにはなりません。
遺留分を請求すると、相続税はどうなりますか
遺産の総額が基礎控除(3,000万円+600万円×法定相続人の数)を超えていれば、受け取った遺留分の額に応じて相続税の申告が必要になります。兄が先に申告・納税していた場合は、兄が更正の請求、あなたが申告をする流れです。金額が確定したら税理士に確認してください。
遺言に「遺留分は請求しないように」と書いてあります
こう書かれていても法的な拘束力はありません。親の希望として書かれただけで、遺留分の請求は妨げられません。請求するかどうかは、あなた自身が決めることです。
まとめ
- 「遺言があるから取り分はない」と言われても、同意や放棄の書面には判子を押さない
- 遺言の実物を確認する。自筆なら家庭裁判所の検認の有無、公正証書なら公証役場で自分で謄本を請求できる
- 子には遺留分がある(兄弟姉妹にはない)。遺言が有効でも、遺産全体の一定割合を金銭で請求できる
- 期限は知った時から1年。内容証明で意思表示をして、まず期限を止める
- 財産の全体は残高証明・登記事項証明書・名寄帳で自分で調べられる
- 話し合いで済むか弁護士が要るかは、相手の反応と金額で決まる。無効の主張は最後の手段
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本記事の制度・費用は2026年9月時点の一般的な取り扱いです。遺留分の額、時効の起算点、遺言の有効性は個別の事情で判断が分かれます。実際に請求や合意をする前に、弁護士にご確認ください。当社は法律事務を行わず、状況の整理と専門家への橋渡しを行います。